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かつて草創期の透析医療

人工透析を受ける人は最近では増えてきました。

透析患者となっても社会で働き続けることも普通になってきました。

しかし40年くらい前にはそのような楽な時代ではありませんでした。

透析医療がまだ端緒についたばかりの時代です。

外シャントと呼ばれるチューブが手首から出ていて、そこから透析の機械につないで治療が行われていました。

透析の機械自体、まだ進歩しておらず色素沈着により患者さんの顔はどす黒くなってる状態。

厳しい水分制限が課され、患者さんたちはいつも喉の渇きに耐えかね、「水が飲みたい、水がごくごく飲んでみたい」と嘆いていました。

食事は生野菜や根菜類、果物などカリウムの高いものは制限しなければなりませんでした。

野菜類は細かく刻み、水にさらし、カリウムを抜きます。

それから茹でるとさらに良いのですが、そこまですると野菜のうまみが消えておいしくなくなってしまうのでした。

さらに鍋物やゼリー、プリン、豆腐なども中身がほとんど水分ですので、ダメでした。

週3回の透析治療自体がしんどいもので、低血圧になったり具合が悪くなり吐いてしまう人も。

そしてほとんど全員の患者さんが腎性貧血と呼ばれる重度の貧血に悩まされていました。

現在はエリスロポエチンという腎臓から産生される造血ホルモン製剤が創り出されていますが、当時はそのような良いものはなく、患者さんは輸血を頻繁に行っていました。

そのため肝臓に悪影響の出る方も稀ではありません。

長くは生きられず、次々死んでいきました。

若い人のお葬式で、友人が墓石に水をかけ、「おう、水が飲みてえ、水が飲みてえ、っていつも言ってたな。ほら、思う存分飲めよ」と言葉をかけてやったそうです。